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2025/11/22

2025年マイルチャンピオンシップ予想

 どうも、ドライソです。

2025年11月23日に京都競馬場で開催されるG1レース「マイルチャンピオンシップ」の予想をします。

2020,2021年はルメール鞍上のグランアレグリアがマイルチャンピオンシップの頂点に立ち、2022年は6番人気のセリフォス、2023年は5番人気のナミュール、2024年は4番人気のソウルラッシュが制しました。

グランアレグリアは降着を除けばG1含めてほぼ優勝、マイルの女王と言っても過言ではなくマイルチャンピオンシップでも1番人気に応えました。

過去の傾向から伺えるように2022年以降は1番人気が優勝する、というわけではなく「馬券としてやや妙味」「複勝やワイドなら紐つけて買ってもいいかな」というようなやや上位人気の競走馬が優勝する傾向があります。

マイルチャンピオンシップの傾向としては、ただ「能力が強い馬が勝つ」という構造ではなく、スタートやコーナーでの直線、第4コーナーから内に回るかはたまた外で勝負、マイルの上がり3ハロンをいかに走るだけのスタミナがあるか、など「展開に強い馬が勝つ」という傾向があるように見受けられます。


…かしこまって書いたけど端折るよ。

酒飲んで書いてるんだこっちは。ただの趣味で。

本命はアスコリピチェーノ、鞍上ルメール、迷ったらルメール買いなさい。
京都のマイルでルメールを信じずして何を信じればいいのでしょうか。
アスコリピチェーノがグランアレグリア級に化けている可能性だってあるのですよ。
ヴィクトリアマイルも勝っているしマイルだったら問題ないでしょう。

対抗はガイアフォース、安田記念2着と前哨戦の富士ステークス1着。
調整しながら「マイルがちょうどいい」と分かったのでしょう。

もう一頭対抗として挙げるならジャンタルマンタル。
NHKマイル1着、安田記念1着、富士ステークス2着。
生粋のマイラーですわね。

穴は昨年度マイルチャンピオンシップ優勝馬のソウルラッシュ。
馬番的には外枠なので京都競馬場のマイルとしては厳しいかもしれないので割り引き。
2年連続の優勝はロマンがあるけどさすがに7歳馬という馬齢から割り引き。
ただ3着圏内はあると思います。
このところの戦績では2着3着を繰り返すブロンズコレクターとなっており、
往年のナイスネイチャを彷彿とさせます。

また穴としてはマジックサンズ。
3歳馬がとは思いますがここはルメール同様京都競馬場マイル適性が強い武豊が鞍上。
ユタカマジックが炸裂する可能性もあると思います。

その他、上り調子のラヴァンダ、やや距離適性に不安があるがオフトレイル、同様に強いが距離適性がマイル向けよりも2000mぐらいがちょうど良さそうなレーベンスティールなども注意ですね。

いずれにしてもマイルチャンピオンシップはよほどのことがない限り強い馬が勝つレースとと言うよりも、展開次第で読めないレースです。

例えば第4コーナーあたりでは中位より後ろでも上がり3ハロンでまくる、という展開も考えられそうです。

どのような買い目がいいかは説明しません。
コンテンツと矛盾しますがみなさんの予想に口を挟むのも野暮というものでしょう。
馬券購入での経済的合理性と競馬そのものに対するロマンの「ちょうどいい」バランスで楽しみましょう。

23日のマイルチャンピオンシップ。
京都の秋風も冷え込むことでしょう。
みなさんも風邪などに気をつけて!

2025/11/21

トイレで用を足すとスッキリ!!なぜ?

 「トイレに行ったらスッキリした」

──誰もが経験しているこのありふれた事実が、なぜかSNSで話題になっている。

「当たり前なのに、なぜか深い」
「スッキリする理由を考えたことなかった」
と、半ば哲学的なコメントまで登場する始末だ。

そこで私は、
“トイレが人をスッキリさせる理由”
という一見無意味なテーマに真正面から向き合ってみた。

■ 1. 物理的に“軽くなる”

体から不要なものが抜けていく。
その瞬間に感じる“あ、終わった感”。
これはもはや人類共通の快感と言える。

専門家はこう語る。

「スッキリの半分は物理、半分は心理です」

シンプルだが説得力がある。

■ 2. プライベートな小部屋の安心感

外出先であっても、トイレは一時的に“安全地帯”になる。
ドアを閉めた瞬間に訪れる静寂は、深呼吸を誘う。

「トイレに逃げ込むと落ち着く」
という意見も多く、
スッキリ感の背景には 心理的リセット があるとみられる。

■ 3. 生活の区切りがつく

仕事中でも、家でも、トイレは小さな“切り替えポイント”だ。

  • 集中が切れたとき

  • イライラしたとき

  • 眠気に襲われたとき

一度席を離れるだけで、
不思議と気持ちが整う。

用を足す行為そのものより、
「席を立つ行動」がスッキリを増幅している可能性もある。

■ 4. 小さな達成感がある

人は何かを終えると、達成感が生まれる。
たとえそれが非常に小さなミッションであっても、
脳は「よし、やった」と認識するという。

ある意味、
トイレは最も手軽で確実な成功体験なのかもしれない。

■ 5. 実は“解放”を感じている

身体的にも心理的にも“溜まっていたもの”が流れ去った瞬間、
人間はほぼ反射的に安堵する。

SNSでは

「トイレ後の自分、ちょっと強くなってる気がする」
「仕事の前に一回行くと集中力上がる」

などの声も見られる。

トイレで用を足すとスッキリするのは、
身体・心理・習慣・環境——
あらゆる要素が重なった、人類に共通する“快の瞬間”だからだ。

今日もどこかで、
誰かがトイレから出てきて、
ほんの少しだけ世界が明るく見えている。

見ちゃう!コンビニのおにぎりコーナー

 コンビニに寄ったつもりが、気づけば“おにぎりコーナー”の前に立っている。

そんな経験はないだろうか。

「買わないはずだったのに、なぜか見ちゃう」
「おにぎりの棚だけ引き寄せられる」

──SNSでは、この“おにぎりコーナー吸引現象”が共感され、静かな論争となっている。

■ なぜ人はおにぎりコーナーを見てしまうのか?

行動心理学の専門家は、
「おにぎりは“最も手軽で、最も裏切らない食品”という印象が強い」と説明する。

「食欲がなくても、おにぎりだけは候補に入る。

そのため無意識に“保険として確認”してしまうんです」

これは、選択肢が多すぎる現代において、
おにぎりの “安心感” が人間の選択ストレスを和らげる役割を担っているからだ。

■ 特に見られがちな3つのラインナップ

SNS分析では、以下の3種類のチェック頻度が高い。

  • ツナマヨ:「とりあえず見ておくランキング不動の1位」

  • :「選ばないけど存在が必要」

  • 期間限定味:「なんとなく確認してみたい謎の義務感」

「結局いつものに戻るのに、とりあえず新作を見る」という声も多い。

■ “買う気ゼロ勢”も惹きつける理由

編集部が街頭で聞いたところ、

「買わないはずが、棚の前で悩んでた」
「寝る前に明日の朝ごはん候補として見ちゃう」
「仕事終わりに吸い込まれるように立ってる」

など、“吸い寄せられました系”証言が多数寄せられた。

心理学的には、
「人は疲れると“簡単な選択肢”を求める」
というシンプルな理由もある。

■ コンビニ関係者の証言

コンビニ店長はこう語る。

「おにぎり棚は、レジから一番見やすい位置に置くことが多いんです。

つい寄ってしまうのは、ある意味で“設計通り”なんですよ」

店側も確信犯だった模様だ。


おにぎりコーナーを“つい見てしまう”のは、
単なる癖ではなく、
手軽さ・安心感・新作チェック欲求・店舗設計――
あらゆる要因が重なった、
コンビニの小さな引力現象だ。

今日もどこかのコンビニで、
買う予定のない人がそっと棚の前に立ち、
ツナマヨを見つめている。

あなたは靴下を右から履いてる?それとも左?

朝のわずかな時間帯に潜む“謎のクセ”が、いま静かに注目を集めている。

SNSで話題になっているのは 「靴下をどちらの足から履くか」 という、誰もが日常的に行っている行動だ。

「右からじゃないと気持ち悪い」
「左からじゃないと一日が始まらない」
「日によりバラバラ」
──投稿は数千件にのぼり、思いのほか“深いテーマ”として議論が広がっている。

■ 右派 vs 左派、拮抗する謎の構図

国内SNS調査(編集部調べ)によると、

  • 右足→左足派:51.3%

  • 左足→右足派:43.8%

  • その日の気分派:4.9%

という結果に。
意外にも、右派・左派はほぼ互角だった。

「右から履くと自然に立てる」
「左からじゃないとバランスが悪い気がする」
と、各派に明確な“こだわり”が存在している。

■ 専門家「理由はほぼ“習慣”」

行動心理学の専門家はこう語る。

「最初にどちらの足で立つか、昔どちら側に靴下を置いていたかなど、
小さな習慣の積み重ねで決まることが多い。 大きな意味はありません」

科学的には“どちらでもいい”という結論だが、
人間は無意識の中に妙なこだわりを抱く生き物なのだ。

■ それでも盛り上がる理由とは?

SNSで議論が白熱している背景には、
「ずっと同じ動作をしていたのに意識したことがなかった」
という驚きがあるという。

「自分だけの普通」が、他人にとって“少数派”かもしれない。
その気づきが、多くの共感と笑いを生んでいるようだ。

■ あなたはどちら派?

靴下という何気ない行動の中にも、
小さな“個性”が隠れている。

あなたはどちらの足から履いているだろうか。
明日の朝、ふとその瞬間を意識してみると、
ちょっとだけ自分が面白く見えるかもしれない。

目的地で用を済ますと、家に戻りたくなる5つの心理

 “終わった瞬間に帰宅欲MAX”──全国で同時多発中。

買い物、病院、役所、コンビニ。
何かをしに家を出たはずなのに、用が終わった瞬間に襲ってくる“圧倒的に帰りたい気持ち”。
この現象がいま、静かに、しかし確実に広まっている。

SNSにはこんな声が並ぶ。

「帰り道の最短ルートだけ異常に詳しくなる」
「寄り道しようと思ってたのに、気づいたら家だった」
「目的が終わった瞬間に“もう外界ムリ”ってなる」

この“帰宅欲暴走モード”の裏側には、5つの心理が潜んでいるという。


① ミッション完了 → 脳が“終了ボタン”を押す

目的を果たした瞬間、人間の脳は勝手に“一日が終わった”と判断する。
すると、体のエンジンが切れ、残る行動は 帰宅だけ になる。


② 家という“安全地帯”に戻りたくなる

外は刺激も雑音も多すぎる。
用が終わればもうそこにいる意味はない。
家のドアを閉めた瞬間の安心感は、もはや合法麻薬。


③ 追加タスクを極端に拒む“防衛本能”

「ついでに買い物でもしようかな?」
その考えは一瞬で消える。
脳内会議ではこう決まっている:

「却下。帰る。」


④ 財布と体力の残量を見て未来が閉じる

疲れ、荷物、出費、時間。
全パラメータが低下し始めるため、行動の選択肢が急激に減る。
唯一残る“最適解”が 帰宅


⑤ 家に帰った瞬間の“ご褒美時間”を想像してしまう

帰ったら座る。
帰ったら飲む。
帰ったらスマホ。
帰ったらNetflix。
……その誘惑が強すぎる。

帰りたくならない方がむしろ異常だ。


用を済ませたら帰りたくなるのは、人間として正常

これは怠惰でも甘えでもない。
むしろ “人間らしさの発露” である。

目的を果たしたあなたは立派。
残りは帰るだけでいい。
帰宅は正義だ。

今日もどこかで、またひとつのミッションが終わり、
ひとりの人間が静かに家へ吸い込まれていく。

土曜が待ち遠しい症候群、勃発

 最近、密かに全国で広がっている——

「土曜が待ち遠しい症候群」 をご存じだろうか。

医学的な根拠は一切ないが、
社会人や学生たちの7割くらいが“自覚症状アリ”と囁かれる謎の現象だ。

症状は突然やってくる。
週の真ん中、水曜。
時計を見るたびに“土曜”という単語が頭をよぎる。
木曜になるともう重症だ。
「あと1日で土曜…?」
「もはや実質、前夜祭なのでは?」
心だけ先に週末へ行ってしまう。


◆ なぜ土曜はこんなにも強いのか?

専門家ではないが、理由はだいたい次の5つだ。


① 金曜の夜を“予告編”として楽しめる

土曜の前夜。
ここがすでに本編クラスで楽しい。
何もしていなくてもテンションが上がる謎の時間帯。


② 日曜の“終わりの気配”がまだない

土曜は完全にフリーだ。
日曜の夕方に襲う「明日仕事」の影が一切ない。
これ、デカい。


③ 午前中に寝ても罪悪感ゼロ

土曜日の午前中に寝るのは、
人類に許された最高クラスの娯楽。
「寝過ぎた…」すらご褒美。


④ 予定が“自由枠”

買い物、外食、昼飲み、ゴロゴロ、なんでもOK。
誰の許可もいらない。
予定がなくてもむしろ勝利。


⑤ 本来の自分に戻れる日

平日モードでは抑え込んでいた感情が開放される。
“素の自分”がうっすら顔を出すのが土曜日。


◆ 土曜が恋しくなるのは、悪いことじゃない

土曜が待ち遠しい——
それは逃避でも怠惰でもない。

「ちゃんと疲れてる」証拠だ。

週のどこかで心が悲鳴を上げているから、
身体は勝手に土曜を探し始める。

むしろ自然だと言っていい。


土曜を待ち望むあなたへ。

フライングしても、浮かれても、予定を白紙にしてもいい。

だって土曜は、週のご褒美だからだ。

今日もまた、心のどこかで土曜の気配を探しながら、
私たちは平日を生き抜いている。

空腹時にはご飯を食べるといい5つの理由

 「当たり前じゃん」と思う人ほど読んでほしい。

「お腹空いたな…」
その瞬間こそ、人生で最も“正しい行動”を選ぶタイミングだ。

そう、ご飯を食べることである。

当たり前のことをド直球で言っているのに、
なぜかみんな遠回りしたがる。
プロテインを飲んだり、ナッツをつまんだり、コーヒーでごまかしたり——
いや違う。
もっとシンプルで、もっと正しい答えがある。

今日は、空腹に悩むすべての人に向けて「ご飯を食べるべき理由」を、
一切のごまかしなしで5つだけ挙げていく。


① 食べると、お腹が減らなくなる

これほど確実な効果が他にあるだろうか。
空腹の解消法は「食べる」以外に存在しない。
斬新さゼロ、しかし成功率100%。


② “元気”が戻る

人間は“燃料”で動いている。
スマホの充電が切れそうなときに、
「いや今日は我慢しよう」と思わないのと同じだ。


③ イライラしない

空腹ほど感情を乱すものはない。
「なんか全部ムカつく」は、大体お腹が空いているだけ。
食べれば9割解決する。


④ 集中力が返ってくる

空腹で仕事すると、
キーボードを叩きながら「ラーメン…」しか考えられない。
飯を食べれば “頭の中のラーメン会議” が消滅する。


⑤ 食べると、なんか幸せ

科学的にも幸福度が上がることが分かっているが、
そんな理屈はどうでもいい。
うまいものを食べた瞬間、心は落ち着く。
それだけで十分だ。


結論:お腹が空いたら、ご飯を食べよう

難しい栄養学も、脂質だ糖質だという議論もいらない。
空腹というシンプルな悩みは、
シンプルに解決するのが一番強い。

今日のあなたへ。
お腹が空いたら、まずは“ご飯”。
それが一番手っ取り早くて、
一番裏切らない。

眠くなったらどうする?寝る?

 仕事の途中、帰りの電車、食後のひととき。

突然まぶたが重くなり、「眠い」と思う瞬間は日常に無数に存在する。
そのとき私たちは、驚くほど本能的に“ある選択”を考える。
――寝るか、寝ないかだ。

眠気は、身体からのもっとも率直なサインのひとつだと専門家は指摘する。
しかし、実際には私たちの生活はそのサインにすぐ従えるほど単純ではない。
仕事をしていれば締め切りがある。
家事の途中なら、やるべきことが残っている。
街中で眠気に襲われるなら、場所すらない。

それでも眠気は遠慮なく現れ、
「休みなさい」と静かに語りかけてくる。
従うべきかどうかを判断するのは、結局のところ本人に委ねられている。

眠るという行為は、一日のリズムをつくる基本動作だ。
しかし、昼間の“眠気”は別の意味合いを持つ。
それは、一日の中で失われつつある集中力を知らせるブレーキであり、
人間が「人間的である」証拠でもある。

一方、短い睡眠、いわゆる仮眠を取り入れる企業も増えている。
昼休みに数分眠ることで午後の生産性が向上するという研究もあり、
眠気を“敵”とするのではなく、
“活用する資源”と捉える動きも広がりつつある。

ただ、人は案外、理由がなくても眠くなる。
天気が悪い日や、静かな作業を続けているとき。
気づけばぼんやりし、目を閉じた瞬間に意識が途切れることもある。
そんなとき、眠気は身体だけでなく心にも語りかけてくる。
「少し休んでいい」と。

もちろん、いつでも寝られるわけではない。
それでも、眠気を感じた瞬間のあの“静かな誘惑”は、
日々の忙しさの中にひっそりと顔を出す、
私たちの弱さであり、同時にやさしさでもある。

眠くなったら、どうするか。
答えは単純に見えて、その裏には生活や価値観が折り重なっている。
ただひとつ言えるのは、
眠気が訪れる瞬間こそ、
自分のコンディションと向き合う“最も正直なタイミング”だということだ。

“寝るか、寝ないか”。
一見ありふれた選択の中に、
今日の自分の状態が静かに見えてくる。

昼を過ぎると、夜になった!?

 静かに訪れる変化に、私たちはなぜ立ち止まるのか

昼の光がゆるやかに傾き、街並みに影が伸びる。
あたりまえのはずの「昼→夜」の流れに、ある時ふと異物感を覚える。
「もう夜?」「昼なのに暗い」という感覚は、多くの人に共通するものかもしれない。

実際には、地球が自転し太陽からの光が変化することで、昼から夜へと移り変わるという唯一無二のリズムがある。
だが、問題は“気づき”の瞬間だ。
昼のまっただ中にいて、「あれ、変わった?」と心が止まる瞬間が、私たちに影響を与える。

街灯が点灯を始める頃、店内の蛍光灯がそのまま黄味を帯びてくる頃、
私たちは知らず知らずのうちに、自らの時間を「終わり」に近づけていることを感じる。
「まだ間に合う」と思っていた時間が、「もう終わったのか」と囁く瞬間だ。

この移行期にこそ、私たちは“今日”という時間にけじめをつける。
何かをやり残してはいないか。
もう動き出せる余地はないか。
そんな焦燥さえ、この自然な昼から夜への変化の中に潜んでいる。

一方で、夜が来ることを待っていたかのように、街は準備を整えている。
暗さによって包まれた瞬間、人々は心を切り替え始める。
家路を選び、明かりを求め、リラックスした時間に移る。
そんな“スイッチ”が、昼の終わりとともに静かに押される。

そしてまた、明日も同じように光が戻る。
昼が来て、夜が来て、また昼が来る。
その反復の中に、“何も変わっていない”という安心も、“何か終わった”という緊張も併存している。

私たちはこの変化に驚き、立ち止まり、そして受け入れる。
昼を過ぎると、夜になる。
それだけのことなのに、
この当たり前が、今日も私たちを少しだけ揺さぶっている。

2025/11/16

「わずか500m」日暮里〜西日暮里間を結ぶ新幹線、ついに開業へ

JR東日本は16日、日暮里駅〜西日暮里駅(約500メートル)を結ぶ新型新幹線路線「にっぽり線(仮称)」を2026年春に開業すると発表した。

1区間のみ、乗車時間は約30秒という“世界最短の新幹線区間”だ。

同社によると、新型車両は10両編成のコンパクトな設計で、加速性能を従来型より大幅に向上。最高速度は時速180キロだが、短距離のため最高速に達する前に減速するという。

JR東日本の担当者は会見で、

「都市部における超短距離高速移動のニーズを探る実証実験。
徒歩や山手線とは異なる“新しい選択肢”を提供したい」

と説明した。

一方で、SNS上では早くもさまざまな反応が相次いでいる。

「いや歩いたほうが早い」
「新幹線というより、もはや高速エレベーター」
「30秒のために指定席いる?www」
「鉄オタだけが救われる路線」

など、賛否が分かれている。

交通ジャーナリストの斎田良介氏は、

「これは実験的な都市交通モデル。乗車距離は短いが、
今後の“超短距離高速化”の象徴になる可能性がある」

と期待を寄せる。

運賃は未定だが、JR東日本は「既存の新幹線とは異なる料金体系を検討中」としている。

今日の生活、昨日と大きな変化なし

 16日、ドライソの一日の投稿がSNSで静かな注目を集めている。

ドライソは「今日の生活は昨日と大きく変わらなかった」とだけ綴ったが、その素朴すぎる内容に、意外な共感が相次いだ。

投稿は、
「起床→惣菜パン→横になる→麦茶→静かに過ごす」
という、ごく日常的な動きを簡潔に記録したもの。
特筆すべき出来事は一切ない。

しかしこれを見た読者のSNSでは、
「こういう日が一番落ち着く」
「変化ない生活、逆に羨ましい」
「なんか沁みて泣けた」
「俺も今日は同じルーティンでした」
といった声が寄せられ、次第に拡散された。

メンタルヘルスの専門家は、背景をこう分析する。
「情報量の多い社会では、刺激の少ない日常が心理的な安定につながるケースが増えています。“変化がない”こと自体が価値になりつつあるのです」

ドライソの投稿は、SNS疲れを抱える利用者の間で「癒やし系コンテンツ」として受容され、思わぬ反響に。
「もっとこういう日記が読みたい」
といった声も広がっている。

ドライソの生活は今日もまた、昨日と大きな変化はない。
その変わらなさが、疲れた現代人にとってひとつの救いとなっているようだ。