仕事の途中、帰りの電車、食後のひととき。
突然まぶたが重くなり、「眠い」と思う瞬間は日常に無数に存在する。
そのとき私たちは、驚くほど本能的に“ある選択”を考える。
――寝るか、寝ないかだ。
眠気は、身体からのもっとも率直なサインのひとつだと専門家は指摘する。
しかし、実際には私たちの生活はそのサインにすぐ従えるほど単純ではない。
仕事をしていれば締め切りがある。
家事の途中なら、やるべきことが残っている。
街中で眠気に襲われるなら、場所すらない。
それでも眠気は遠慮なく現れ、
「休みなさい」と静かに語りかけてくる。
従うべきかどうかを判断するのは、結局のところ本人に委ねられている。
眠るという行為は、一日のリズムをつくる基本動作だ。
しかし、昼間の“眠気”は別の意味合いを持つ。
それは、一日の中で失われつつある集中力を知らせるブレーキであり、
人間が「人間的である」証拠でもある。
一方、短い睡眠、いわゆる仮眠を取り入れる企業も増えている。
昼休みに数分眠ることで午後の生産性が向上するという研究もあり、
眠気を“敵”とするのではなく、
“活用する資源”と捉える動きも広がりつつある。
ただ、人は案外、理由がなくても眠くなる。
天気が悪い日や、静かな作業を続けているとき。
気づけばぼんやりし、目を閉じた瞬間に意識が途切れることもある。
そんなとき、眠気は身体だけでなく心にも語りかけてくる。
「少し休んでいい」と。
もちろん、いつでも寝られるわけではない。
それでも、眠気を感じた瞬間のあの“静かな誘惑”は、
日々の忙しさの中にひっそりと顔を出す、
私たちの弱さであり、同時にやさしさでもある。
眠くなったら、どうするか。
答えは単純に見えて、その裏には生活や価値観が折り重なっている。
ただひとつ言えるのは、
眠気が訪れる瞬間こそ、
自分のコンディションと向き合う“最も正直なタイミング”だということだ。
“寝るか、寝ないか”。
一見ありふれた選択の中に、
今日の自分の状態が静かに見えてくる。
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