静かに訪れる変化に、私たちはなぜ立ち止まるのか
昼の光がゆるやかに傾き、街並みに影が伸びる。
あたりまえのはずの「昼→夜」の流れに、ある時ふと異物感を覚える。
「もう夜?」「昼なのに暗い」という感覚は、多くの人に共通するものかもしれない。
実際には、地球が自転し太陽からの光が変化することで、昼から夜へと移り変わるという唯一無二のリズムがある。
だが、問題は“気づき”の瞬間だ。
昼のまっただ中にいて、「あれ、変わった?」と心が止まる瞬間が、私たちに影響を与える。
街灯が点灯を始める頃、店内の蛍光灯がそのまま黄味を帯びてくる頃、
私たちは知らず知らずのうちに、自らの時間を「終わり」に近づけていることを感じる。
「まだ間に合う」と思っていた時間が、「もう終わったのか」と囁く瞬間だ。
この移行期にこそ、私たちは“今日”という時間にけじめをつける。
何かをやり残してはいないか。
もう動き出せる余地はないか。
そんな焦燥さえ、この自然な昼から夜への変化の中に潜んでいる。
一方で、夜が来ることを待っていたかのように、街は準備を整えている。
暗さによって包まれた瞬間、人々は心を切り替え始める。
家路を選び、明かりを求め、リラックスした時間に移る。
そんな“スイッチ”が、昼の終わりとともに静かに押される。
そしてまた、明日も同じように光が戻る。
昼が来て、夜が来て、また昼が来る。
その反復の中に、“何も変わっていない”という安心も、“何か終わった”という緊張も併存している。
私たちはこの変化に驚き、立ち止まり、そして受け入れる。
昼を過ぎると、夜になる。
それだけのことなのに、
この当たり前が、今日も私たちを少しだけ揺さぶっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿